初期衝動の放物線

iPhoneをはじめて手にした時、新しい世界に胸躍らせた。
それから数ヶ月間は、新しいアプリを探すのが日課になり、猛烈にのめりこんでいった。
 
だが、いまはどうだろう。
最近、まったくと言っていいほど新しいアプリをインストールしていない。
探そうともしていないではないか。
必要なアプリが一通り揃い、落ち着いてしまったのだろうか。
 
ふと、そう思い、久しぶりに新しいアプリとの出会いを求めて電脳世界に旅に出た。
なるほど、新しいアプリは日々開発されリリースされているのだな。
しかし、なぜだろう。あの頃のような胸の高鳴りはない。
 
新しいものへの求心力のベクトルは、初期衝動の急激な上昇以後、徐々に放物線を描いて緩やかに減退していく。
求心力の低下は、つまり成長の低下でもある。
 
これはあらゆることに言える。
 
例えばファッション。
一説によると、人は、ファッションに興味を持ち始める10代から20歳くらいまでの間にスタイルが確立し、以後ずっと同じスタイルを好み、着続けるのだという。
心当たりのある人は多いはず。
興味が失せているつもりはないだろうが、新しいファッションへの求心力は確実に減退している。
 
例えば音楽。
同じく、音楽に興味を持ち始める10代の頃に聴いていたアーティストや音楽を、いまでもずっと聴き続けている人がいる。
音楽シーンは常に進化し、新しくなっているにも関わらず、それらを求めることもなく、だ。
これは自分が音楽に関わっているから、特に顕著に感じる。
別にその頃の音楽を聴き続けるのが悪いという訳ではない。
多感な10代の頃に聴いていた音楽は、その後の音楽性や趣向を決定づける要素であることは間違いないし、その人にとっての思い出の曲は、一生残り続けるものだろう。
とは言え、新しい音楽への求心力が0になってしまったが故だとしたら?
そんな人を見ると愕然とする。
 
新しいものへの求心力のベクトルは、初期衝動の急激な上昇以後、徐々に放物線を描いて緩やかに減退していく。
 
さて、どうしようか?
 
まずは、興味を持ったらとことん突き進むべきだ。
この強い初期衝動に比べれば、いずれ求心力は低下してしまうのだから。
そして、たまには無理をしてでも新しいものへ目を向け、手を伸ばしてみよう。
きっと、より大きな感動や世界が待っているはずだから。
 
hijiri